" 推される "ということ

 

 

 

 

 

 

僕にとって 推し という存在は、宗教 である

推しが存在してくれるだけで生活が明るいし、推しに会えたらストレスや疲れは吹っ飛ぶし、推しが僕にかけてくれる言葉ひとつひとつが神からの天啓のように想える

推しの声でご飯が美味しい

推しの笑顔で身が清められる

推しの存在が僕を救う

僕のなかで推しとは、そんな存在であり続けてた

 

 

ここ数ヶ月は推しを推すことよりも なんともありがたいことに推してもらえることのほうが増えて、僕のことを推してくださってる方には感謝してもしきれない程の気持ちを常々抱えていて

推してもらえるってどういうことなんだろう、って最近ずっと考えていて

 

僕は歌ったり踊ったりお芝居したり 人前でお話したりすることが好きだけど とにかく自分に自信が全く無くて

自己顕示欲と承認欲求強めだけど自分に自信が無いから 僕のことを推してくださってる方がいるっていうのが (推してくださってる方には失礼だとおもうけど)本当に不思議で不思議で 『なんで僕みたいな出来損ないがいいの?』って結構おもってて 鬼のように自尊心と自己肯定感が低い

僕のことを推してくださってるひと、僕と仲良くしてくださってるひとには会うたびに感謝の気持ちを伝え倒してて そろそろ言葉の重みやありがたみが無くなってきてるのでは?ってレベルで感謝感激を伝えちぎってるんですけど 毎回全身全霊全力の " ありがとう " を伝えてるつもりです 伝わってるかな 伝わってたらいいな

 

僕に会いに来てくれるために

わざわざ秋葉原に来て 駅から少し遠い高まりに足を運んで遊びに来てくださって、高くないけど決して安くもないセット料金にプラスして一緒に飲もうよって言ってくださったり、僕に歌をリクエストしてくださったり、たまにチェキを撮ってくださったり、差し入れをくださったり、

アキバだけじゃなくて、公演場所が日によって全く違うのに 舞台やライブにも足繁く来てくださる方もいてくれて、

僕はいつもログインごとに毎回楽しくて 会いに来てくれるのが毎回嬉しくて 僕はちゃんとそこに価値を見出せてるのかなっていつも不安になります

 

僕は自分から『僕のこと推して!僕を好きになって!』って口が裂けても言えなくて

人様に自分から推して!って言えるほど自分に推してもらえるポインョが無いとおもってるし そういうことを言って許される愛嬌もないし 自信無いくせにそんなことをのたまえる烏滸がましさを持ち合わせてなかったりします

とにもかくにも 趣味/特技:自己否定 みたいな人間だけど そんな僕でも愛してくれる、推してくれる誰かがいるから 支えてくれるひとがいるから いつも頑張ろうっておもえます

 

これまたハイパー烏滸がましいこと言うんですけど

僕は 僕のことを推してくれてるひとを幸せにしたいです

「せな推しでよかった!幸せだ!」って胸を張って言ってもらいたくて

僕の幸せは 僕の推しが幸せであることと、僕のことを推してくれてるひとが幸せであること

せっかく幸か不幸か 偶然が重なって?運命の導きで?僕と仲良くなってくださって、一緒に過ごす時間を共有してくださってるんだから 僕のことを推してくださるんだから 僕を推したことを絶対後悔させたくないし、絶対幸せになってほしいし、むしろ僕のことを推してくださるひとが僕の推しだし(ゲシュ崩)

僕は推しに出会えたこと、推してくださるひとに出会えたこと、仲良くしてくださるひとに出会えたこと、何一つ後悔してないから 僕自身が皆様にとって出会ったことに後悔しない推しでありたいし研究員でありたいし表現者でありたい

僕が僕でいられること、感謝してもしきれないし こんな僕を受け入れてくれて、僕のことを見つけてくれて 本当にありがとう、そしてこれからももっとずっと よろしくお願いします 一緒に幸せになろうね